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僕は何故、NieR:Automataのサウンドトラックを買うのだろうか?

  NieR:Automataをプレイした。そして、60時間後にEエンドを見た。良かった。大変良かった。大変、おもしろかった。どこどこが良かったと個別に挙げることは出来るけど、漫然となるので、ここは一つだけ。音楽がよかった。 

ニーア オートマタ - PS4

ニーア オートマタ - PS4

 

 

 ゲームの演出に音楽が使われるようになって久しい。チップ音源の制約の中で試行錯誤を行った8bit時代は、使える音数が少ないからこそ、印象的なメロディラインであったり、チップ音源独自のバッドノウハウから生じる特異な音色であったり、独特な楽曲が生み出されていた。そんなゲーム音楽は、ゲームプレイと同時に強く記憶に残ったものである。これは、場面の演出を音のみで表現する必要があったためでもある。悲しい場面では涙をこらえるような心の震えを、戦闘の場面では勇ましくも恐ろしい緊張感を、そんな場面ごとの心情の演出をメロディラインとわずかな音色で表現していたからだ。これは、5・7・5の制約があればこそ、口ずさむときに想像が大きく広がる俳句の世界と相似しているかもしれない。

 

 

 その後、ゲーム機の高性能化に従い、ゲーム音楽も変化した。具体的には、音楽自体が極力ゲームプレイ時に意識されないことが求められるようになった。つまり、ゲームは総合芸術としてあり、音楽はあくまでもその演出の道具のひとつにすぎないということがより徹底されるようになったのである。ゲームプレイにおいて、操作感の演出に大きく寄与するのは効果音であり、シナリオ演出に情感を醸し出すのはフルボイスによる声優の演技である。必然、ゲーム音楽はそれらに寄り添うことが求められる。ここにおいて、ゲーム音楽は劇伴BGMとしてあることが第一としてあり、かつて持っていた音楽そのものでゲームを表現するゲーム音楽としての特色を失ってしまった。いまどき、音楽そのものでゲームを表現するのは、タイトルテーマとエンディングテーマぐらいのものである。このため、最近の僕は、ゲームをクリアしてもタイトルテーマとエンディングテーマくらいしか記憶に残らなかった。

 

 

 そして、NieR:Automataである。NieR:Automataの音楽は、もちろん劇伴BGMとして優れている。それもゲームとしての劇伴BGMとしてである。こちらの操作に併せて音楽そのものにエフェクトをかけつつも破綻させずにシームレスに繋がるのは感心を通り越して感動すらする。例えば、メニュー画面を開いた瞬間の場面、メニューを開いた効果音とともにBGMの音量を落とし、キー操作の効果音が際立つように、BGM自体をシームレスに調節する。例えば、ハッキング攻撃をしかけた瞬間の場面、場面推移と同調するようにごく自然にBGMが8bit様に変化し、ハッキングが終わると同時にシームレスに元の曲に戻る。このような場面に沿ったリアルタイムの変化は最近のゲーム音楽であれば当たり前の要素ではあるけれど、それが極めて素晴らしく、そこらかしこに職人的なこだわりが感じられた。

 しかしながら、クリアした後で僕の記憶に残ったのは、そういったフィールドや戦闘の曲ではなく、ちょっとした区切りに流れる曲だ。例えば、迷子の子供を迎えた母親が、子供の考えることがわからないと苦悩しながらも、それでもなにか通じ合ったときは嬉しいと言葉を零す場面で流れる、母と子の心情に寄り添うように使われる曲。例えば、長い時間のなかで記憶が擦り切れてすっかり忘れてしまっていた思い出の場所へ辿り着けた場面で流れる、尽きせぬ思いに寄り添うにように使われる曲。そんな、プレイヤーの緊張がそっと解けた瞬間にすっと入ってきて余韻を感じさせる音楽たち。

 

カイネ救済

カイネ救済

 

 

 これこそが、僕がNieR:Automataのサウンドトラックを買う理由だ。エピソードと音楽がゲームプレイの中で密接につながり、記憶に刻まれた余韻は、音楽を聞いたのみでも反復できるからである。シームレスに繋がる劇伴BGMは、ゲームプレイそのものに密接につながるため、それらを感じるのならゲームをプレイする他ない。しかし、自身に生まれた感情に音楽が結びついたのなら、音楽のみを鑑賞しても、その感情を思い出せるのである。

 月の涙を眺めるように。

 

NieR:Automata Original Soundtrack

NieR:Automata Original Soundtrack

 

 

NieR:Automata Original Soundtrack

NieR:Automata Original Soundtrack